相馬とアサリ
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田んぼが広がっていたと思われる場所。あちこちに舟や車。
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松川浦。満潮だったようです。海の色が日本海とは違う。
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「丹下左膳之碑」と書いてありました。津波で倒れたものを立て直したのではないかな。
壊れたボートが集めてありました。
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14日、福島県相馬市へ。

相馬は、父が我が家を建てたころ、長期出張に赴いた土地です。
相馬港で、我が家の地元の船の整備か修理をしていたようです。
その間は、港付近の民宿に泊まっていたといいます。
民宿のひとは皆明るく親しくしてくれて、父が家に戻るときは
おみやげにと相馬で獲れたアサリと、生昆布を持たせてくれました。
家に父が帰ってくるたび「アサリがある! これを食わせてやる」と嬉々として
自分の荷物も解かぬまま、発泡スチロールの箱から見たこともない大きなアサリを
どっさり取り出し、フライパンで酒蒸しにして家族に供してくれました。
生昆布はどう料理したらいいのかよくわからなかったのですが(笑)、
この、相馬のアサリの美味しかったことと、数週間か数ヶ月ごとに
一時帰宅したときの父の嬉しそうな様子は、今でも忘れられません。
「相馬はいいところだ、人がみんないい。
 漁港のすぐそばにはアサリが獲れる浜がある。
 昔オワ(俺)が若かったころの放生津潟とよく似ている。」
そんな話をしていた記憶があります。
相馬での仕事が終わったあとも、わざわざ民宿に頼んで何度も
アサリを送ってもらいました。そのくらい、家族みんなの好物でした。

父は出張が終わったころから、時間をかけて体を壊していきました。
母は何度か「あのとき相馬に行かせたのがよくなかった。」と言います。
当時、父に何かがあったのか、今でもわかりませんが
家を建てた直後で、大黒柱として責任が重くなったときではありました。
せっかく家を建てたのに、家族の空気が揃わなくなっていきました。
最後まで、父が相馬と我が家を行き来していたころまでのような
家族の姿は戻ることがなかったと思います。
まぁものすごい不幸があったわけでもありませんが。

3月11日から東日本大震災のニュースを見るにつけ
福島は、相馬はどうなったんだろうと気になっていました。
震災直後は原発以外の福島のニュースがきわめて少なく、
地震や津波の被害状況がわかりませんでした。
Google Mapが更新され、相馬港から
アサリの獲れる浜(松川浦という場所らしい)までの写真を見て
直接この場所を見たいと思うようになりました。

海岸への道を進むと、屋根にブルーシートを被せた家が増えていきます。
ところどころ不自然に激しく枯れている植え込みに異様なものを感じつつ
それでも5月に訪れた(迷い込んだ!)浪江町ほどの被害ではないなぁ…
と思っていたら、空気が徐々にドブっぽい潮のニオイに変わり
ふと右を見ると、津波がかけあがったと思われる泥沼が広がっていました。
ニュースで、ネットで、もうすっかり見慣れてしまった被災地。
実際に目にすると、予想以上の強い衝撃を受けました。

そして、松川浦。どんな場所なのかまったくわからないまま
訪れたのですが、堤防とおぼしきものは破壊されており、ただただ
広大な海が広がる景色に呆然と立ち尽くすばかりでした。

ぬるい潮風に吹かれて沖を眺めていると
不意に、父がかつてここに立ち、想ったことを強く感じました。
生まれ故郷とそっくりの景色(らしい)のに、ここは太平洋。
やっぱり、寂しかったんじゃないかなぁ…と、はじめてその気持ちがわかりました。
昔と変わらない沖の景色を見ては父の気持ちを思い
背後に広がる、津波による無情の光景を見ては震災の恐怖を思い
しばらく混乱が収まりませんでした。

震災から5ヶ月、この地もぼちぼち復旧が進んでいるようでしたが
復興とまでは、まだまだ。
地元の人々は落ち着いた様子で家を出入りしていましたが
このすさまじい破壊から、心に負った傷は小さからぬものと思います。
どうか、家族や地域の絆を見失うことなく
3月11日までの暮らしを取りもどしてほしいと切に願います。
そのときが来たら、今度はアサリを買い込みに来るつもりです。

食べ物のウラミは晴らす…(笑)。




この地域の津波、動画。
すみません、こんなにすさまじい波だったとは想像に及びませんでした。
亡くなられた方に心よりお悔やみ申し上げます。
相馬の復興をこれからも見守りたいと思います。
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by K318Ci | 2011-08-18 01:51 | その他話
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